酔古堂剣掃 / 集峭・始めは甍に緣りて棟を冒す
始緣甍而冒棟,終開簾而入隙;初便娟於墀廡,未縈盈於帷席。
新字:始縁甍而冒棟,終開簾而入隙;初便娟於墀廡,未縈盈於帷席。
書き下し
始めは甍に緣りて棟を冒し、終には簾を開きて隙に入る。初めは墀廡に便娟として、未(末)には帷席に縈盈す。
現代語訳
雪ははじめ屋根瓦に沿って棟をおおい、やがて簾のすき間を開いて部屋の中にまで入りこみます。はじめは階段や廊下のあたりに軽やかに舞っていたのが、しまいには帳や座席のまわりにまでくるくると舞いめぐります。
解説
南朝宋の謝恵連の雪賦に見える、雪の降るさまを描いた有名な一節です。甍は屋根瓦、棟は屋根の頂です。墀は宮殿の階段、廡は廊下のことです。便娟は軽やかに舞うさま、縈盈は旋回しながら満ちていくさまです。原文の未は、雪賦では末となっており、写しの誤りとみて、しまいにはと訳しました。雪が屋外から少しずつ室内へと入りこんでくる動きを、始め、終わり、初め、末と時間を追って描き、静かに降り積もる雪の気配が目に見えるようです。身近な自然の動きを、これほど丁寧に観察し言葉にすることで、ありふれた雪も特別な景色になります。
この章句が説くこと
自然雪観察文学風雅
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