酔古堂剣掃 / 集峭・山川自ら相映發す
詩思在灞凌橋上,微吟處,林岫便已浩然;野趣在鏡湖曲邊,獨往時,山川自相映發。
新字:詩思在灞凌橋上,微吟処,林岫便已浩然;野趣在鏡湖曲辺,独往時,山川自相映発。
書き下し
詩思は灞凌橋上に在り、微吟する處、林岫便ち已に浩然たり。野趣は鏡湖の曲邊に在り、獨り往く時、山川自ら相映發す。
現代語訳
詩の思いは灞陵橋の上にあり、小声で口ずさんでいると、林や峰がもう孟浩然の詩のように広々と感じられます。野の趣は鏡湖のほとりにあり、一人で出かけると、山や川がおのずと互いに照り映えています。
解説
詩情と野趣の生まれる場所を、故事で描いた一則です。灞陵橋は長安の東の橋で、唐の鄭綮が、詩の思いは灞橋の風雪の中、驢馬の背の上にあると言った話で知られ、孟浩然が雪の中を驢馬で梅を探しに行った話とも重なります。浩然は広々としたさまと、孟浩然の名を掛けています。鏡湖は唐の賀知章が官を退くとき、玄宗から一角を賜った湖です。山川自ら相映發すは、晋の王献之が会稽の山道の景色を、山と川が照り映えて応接にいとまがないと語った言葉です。詩のひらめきは机の上ではなく、外を歩くときに訪れるものです。行き詰まったら外に出てみることです。
この章句が説くこと
詩自然風雅閑適発想
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