呂氏春秋 / 壅塞①
亡國之主,不可以直言。不可以直言,則過無道聞,而善無自至矣。無自至則壅。
新字:亡国之主,不可以直言。不可以直言,則過無道聞,而善無自至矣。無自至則壅。
書き下し
亡國の主は、以て直言す可からず。以て直言す可からざれば、則ち過、道りて聞く無く、而して善、自りて至ること無し。自りて至ること無ければ、則ち壅がる。
現代語訳
亡国の君主には直言することができない。直言できなければ、過ちは君主に伝え聞かれることがなく、善き言や善き人が自然に集まってくることもない。集まってこなければ、君主はふさがれ、情報を遮断される。
解説
この段は壅塞篇の総論で、亡国に向かう君主には直言が届かないと説きます。率直に諫められなければ、君主は自分の過ちを知る機会を失い、優れた人材や進言も集まらなくなります。その結果、情報は完全にふさがれて壅塞し、判断の材料を失った君主は破滅へ進みます。現代の組織にも直結する指摘で、トップに悪い知らせや異論が上がらない状態は、最も危険な兆候です。情報の流れをふさがず、耳の痛い声こそ吸い上げる仕組みを保つことが、健全な意思決定と組織の存続の前提だと教えてくれます。
この章句が説くこと
壅塞直言情報遮断亡国君主諫言
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