南洲翁遺訓 / 第三十三条
平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬもの也。譬へば近隣に出火有らんに、平生処分有る者は動揺せずして、取仕抺も能く出来るなり。平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕抺どころには之れ無きぞ。夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臨みて策は出来ぬもの也。予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ、夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。
書き下し
平日道を蹈まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分の出来ぬもの也。譬へば近隣に出火有らんに、平生処分有る者は動揺せずして、取仕抺も能く出来るなり。平日処分無き者は、唯狼狽して、なかなか取仕抺どころには之れ無きぞ。夫れも同じにて、平生道を蹈み居る者に非れば、事に臨みて策は出来ぬもの也。予先年出陣の日、兵士に向ひ、我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ、夫れは第一の備ぞと申せしとぞ。
現代語訳
平生に道を踏まない人は、事に臨んで狼狽し、始末ができないものである。たとえば近隣に火事があったとして、平生に備えのある者は動揺せず、後始末もよくできる。平生に備えのない者は、ただ狼狽するばかりで、なかなか後始末どころではない。それも同じことで、平生に道を踏んでいる者でなければ、事に臨んで策は出てこないものだ。私は先年出陣の日、兵士に向かって、我が備えが整っているか整っていないかを、ただ味方の目で見ず、敵の心になって一つ突いてみよ、それが第一の備えだ、と言ったという。
解説
前段は平生の備えの話で、火事の比喩がわかりやすい。だが本題は最後の一行にある。「我が備への整不整を、唯味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つ衝て見よ、夫れは第一の備ぞ」。自陣の備えを、味方の目で点検してはいけない。敵の立場に立って、自分で一度突いてみろ、と。これを「第一の備え」と呼ぶ。味方の目で見れば、備えは常に十分に見える。作った本人が点検すればなおさらだ。弱点は、攻める側の視点に立ってはじめて見える。出陣の日に兵士へ言った言葉として伝えられているのが効いている。事業計画でも、防犯でも、品質でも、同じことが言える。自己点検は、立場を変えないかぎり点検にならない。
この章句が説くこと
平日道を踏む敵の心に成りて衝いて見よ第一の備え自己点検