酔古堂剣掃 / 集峭・叚の瀟灑の趣味有るを要す
學者要有叚兢業的心思,又要有叚瀟灑的趣味。
新字:学者要有叚兢業的心思,又要有叚瀟灑的趣味。
書き下し
學ぶ者は叚の兢業の心思有るを要し、又た叚の瀟灑の趣味有るを要す。
現代語訳
学ぶ者には、慎み深く努め励む心構えが必要であり、同時に、さっぱりと執着のない趣も必要です。
解説
学ぶ者に必要な二つの心を、緊張と余裕の対で示した一則で、『菜根譚』にもほぼ同じ句があります。叚は段と同じで、「ひとまとまりの」という意味の口語的な言い方です。兢業は『書経』の「兢兢業業」から出た言葉で、恐れ慎みながら努め励むことです。瀟灑はさっぱりとして俗気や執着のないさまです。真剣に努めるだけでは心が張りつめて硬くなり、気ままな趣味だけでは学問が浅くなります。両方を兼ね備えてこそ、学びは長く続き、深まっていきます。仕事や勉強に打ち込むときも、張りつめた真剣さと、力を抜いて楽しむ余裕の両方を意識したいものです。
この章句が説くこと
菜根譚学問勤勉瀟灑平衡
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