酔古堂剣掃 / 集峭・一たび腳を失へば千古の恨み
一失腳為千古恨,再回頭是百年人。
新字:一失脚為千古恨,再回頭是百年人。
書き下し
一たび腳を失へば千古の恨みと為り、再び頭を回らせば是れ百年の人なり。
現代語訳
一度足を踏み外せば永遠の悔恨となり、振り返ったときには、もう一生を終えかけた人になっています。
解説
一度の過ちが取り返しのつかない悔いとなることを戒めた、よく知られた対句です。失腳は足を踏み外すこと、転じて道を誤ることです。千古は永遠、百年は人の一生を言います。道を誤ってしまえばその悔いは永く残り、気づいて振り返ったときにはもう一生が終わりかけている、という厳しい言葉です。後世「一たび足を失へば千古の恨みと成る」の形で広く知られ、中国では今も戒めの成句として使われています。一瞬の気のゆるみや誘惑が、長い歳月をかけて築いたものを失わせることがあります。大事な場面ほど、立ち止まって一歩を確かめる慎重さを持ちたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
戒め過ち慎重処世後悔
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