酔古堂剣掃 / 集峭・骨を銷かすの口中に蓮花を生ず
銷骨口中,生出蓮花九品,鑠金舌上,容他鸚鵡千言。
書き下し
骨を銷かすの口中より、蓮花九品を生じ出し、金を鑠かすの舌上に、他の鸚鵡の千言を容る。
現代語訳
骨をも溶かすといわれる悪口が渦巻く口の中からも、極楽の九品の蓮の花のような清らかな言葉を生み出し、金をも溶かすといわれる中傷の舌の上では、鸚鵡のような受け売りの千言を好きに言わせておきます。
解説
中傷の渦中での身の処し方を、仏教と故事の言葉で説いたとみられる一則です。銷骨と鑠金は、『史記』鄒陽伝の「衆口は金を鑠かし、積毀は骨を銷かす」に基づき、大勢の悪口は金属をも溶かし、積み重なる誹謗は骨をも溶かすほど恐ろしいという意味です。蓮花九品は、極楽浄土に往生する者が座る九つの等級の蓮台で、清らかな境地の象徴です。鸚鵡の千言は、意味も分からず人の言葉をまねるおしゃべりのことです。悪口が飛び交う場でも、自分の口からは清い言葉を出し、受け売りの噂話はさせておけばよい、という態度と読めます。噂や陰口に巻き込まれたとき、同じ言葉で応じない強さを持ちたいものです。
この章句が説くこと
中傷言葉忍処世仏教
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