酔古堂剣掃 / 集峭・達人は手を懸崖に撒つ
達人撒手懸崖,俗子沈身苦海。
書き下し
達人は手を懸崖に撒ち、俗子は身を苦海に沈む。
現代語訳
道に通じた人は切り立った崖の上でつかまっていた手を放し、俗人はその身を苦しみの海に沈めています。
解説
執着を手放せるかどうかで、達人と俗人を分けた対句です。撒手懸崖は禅の言葉「懸崖に手を撒す」に基づき、崖にぶら下がってしがみついている手を思い切って放すことです。命がけで執着を断ち切ったとき、かえって新しい生が開けるという意味で用いられます。苦海は仏教の言葉で、生死の苦しみが果てしなく広がるこの世を海にたとえたものです。手を放せない者は、しがみついたまま苦しみの海に沈んでいくことになります。今の暮らしでも、失うのが怖くて手放せないものが、かえって自分を苦しめていることがあります。思い切って手を放す勇気が、新しい道を開くこともあるでしょう。
この章句が説くこと
放下執着禅苦海達人
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集峭・仙佛の心を放ち下し得て俗人の心を放ち下し得て、方めて丈夫と為るべし。丈夫の心を放ち下し得て、方めて名づけて仙佛と為す。仙佛の心を放ち下し得て、方めて名づけて得道と為す。
-
『酔古堂剣掃』集醒・極迷の處より迷ひを識る極迷の處より迷ひを識れば、則ち到る處醒む。放懷し難きを將て一たび放てば、則ち萬境寬し。
-
『酔古堂剣掃』集靈・名利の場を參破す生死の關を打透すれば、生來たるも也た罷む、死來たるも也た罷む。名利の場を參破すれば、得るも也た好し、失ふも也た好し。
-
『酔古堂剣掃』集醒・闇室の一燈、苦海の三老闇室の一燈、苦海の三老。 疑網を截るの寶劍、盲眼を抉るの金鍼。
-
『酔古堂剣掃』集素・一の戀の字を擺脫す胸中只だ一の戀の字を擺脫すれば、便ち十分に爽淨、十分に自在なり。 人生最も苦しむ處は、只だ是れ此の心なり。泥に沾ひ水を帶び、明らかに是れ知り得るも、割斷する能はざるのみ。
-
『酔古堂剣掃』集素・年光は跳丸よりも疾し甜苦備さに嘗む、好し手を丟てよ、世味は渾て蠟を嚼むが如し。 生死は事大なり、急ぎ頭を回らせ、年光は跳丸よりも疾し。