酔古堂剣掃 / 集峭・仙佛の心を放ち下し得て
放得俗人心下,方可為丈夫。放得丈夫心下,方名為仙佛。放得仙佛心下,方名為得道。
新字:放得俗人心下,方可為丈夫。放得丈夫心下,方名為仙仏。放得仙仏心下,方名為得道。
書き下し
俗人の心を放ち下し得て、方めて丈夫と為るべし。丈夫の心を放ち下し得て、方めて名づけて仙佛と為す。仙佛の心を放ち下し得て、方めて名づけて得道と為す。
現代語訳
俗人の心を手放すことができて、はじめて一人前の男子となれます。一人前の男子であろうとする心を手放すことができて、はじめて仙人や仏と呼ばれます。仙人や仏であろうとする心を手放すことができて、はじめて道を得たと呼ばれるのです。
解説
手放すことを三段に重ねて、修養の深まりを説いた一則です。放下は禅でよく使われる言葉で、執着を下ろして手放すことです。まず俗人の欲や打算を捨てて丈夫、すなわち志ある一人前の人になります。次に、立派な人間であろうとする自負さえ捨てたとき、仙人や仏の境地に至ります。さらに仙仏になろうとする心さえ捨てて、はじめて本当に道を得たと言えるのです。目標に到達すると、今度はその到達したことへのこだわりが新たな執着になります。一つ上の段階に進むたびに、身につけたものを手放す勇気が要るのです。肩書きや成功体験に縛られていないか、振り返らせてくれる句です。
この章句が説くこと
放下修養執着得道仏教
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