囲炉夜話 / 第四十四則・盡く放下を行ふ
道本足於身,切實求來,則常若不足矣。 境難足於心,盡行放下,則未有不足矣。
新字:道本足於身,切実求来,則常若不足矣。 境難足於心,尽行放下,則未有不足矣。
書き下し
道は本より身に足る、切實に求め來たれば、則ち常に足らざるが若し。 境は心に足り難し、盡く放下を行へば、則ち未だ足らざる有らず。
現代語訳
道はもともと自分の身に備わっています。それでも切実に求めていくと、いつも足りないように感じられます。境遇は心を満たしにくいものです。けれどもすべてを手放してしまえば、足りないと感じることはなくなります。
解説
道と境遇に対して、足りる足りないの感じ方が逆になることを示した対句です。道は本来わが身に具わっているが、真剣に求めるほど足りなさを覚えると言います。学べば学ぶほど自分の未熟が見えてくるのと同じで、この不足の感覚が向上の原動力になります。一方の境は、財や地位など外の境遇のことで、いくら得ても心は満たされません。放下は、執着を下ろして手放すことで、禅でよく使われる語です。手放せば、不足という感覚そのものが消えます。道には飽き足らず、境遇には足るを知る。向ける方向を取り違えないことが、心の平安と成長を両立させます。
この章句が説くこと
知足放下求道執着修身
関連する章句
-
『囲炉夜話』第百二則・知足の心は以て書を讀むべからず備はるを求むるの心は、之を用ひて以て身を修むべく、之を用ひて以て物に接すべからず。 足るを知るの心は、之を用ひて以て境に處すべく、之を用ひて以て書を讀むべからず。
-
『囲炉夜話』第百三十三則・常に某人の德業我に勝ると思へば自ら慚づべし常に某人の境界は我に及ばず、某人の命運は我に及ばずと思へば、則ち以て自ら足るべし。 常に某人の德業は我に勝り、某人の學問は我に勝ると思へば、則ち以て自ら慚づべし。
-
『囲炉夜話』第百二十八則・但だ此の心の過ぎ得去るを求む事に處するに何の定憑か有らん、但だ此の心の過ぎ得去るを求む。 業を立つるに大小を論ずる無く、總て此の身の做し得來るを要す。
-
『囲炉夜話』第二百九則・做作の氣有れば本色の人に非ず執滯の心無くして、才かに是れ通方の士なり。做作の氣有れば、便ち本色の人に非ず。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失う。是れ求めて得るに益有るなり。我に在る者を求むればなり。之を求むるに道有り。之を得るに命有り。是れ求めて得るに益無きなり。外に在る者を求むればなり。」
-
『正法眼蔵随聞記』巻五大慧禅師の云く、学道は須く人の千万貫の銭を債ひけるが、一文をも持たざるに乞責らるゝ時の心の如くすべし、若しこの心あれば、道を得ることやすしといへり、信心銘に云く、至道かたきことなし、唯だ揀択を嫌ふと、揀択の心だに放下しぬれば、直下に承当するなり、揀択の心を放下すると云は、我をはなるゝなり、仏道を行じて、代りに利益を得ん為に仏法を学すと思ふことなかれ、只仏法の為に仏法を修行すべきなり、縦ひ千経万論を学し得て、坐禅の床を坐破するとも、此の心なくんば、仏祖の道を得べからず、只すべからく身心を放下して、仏法の中に置て、他に随ひて旧見なければ、即ち直下に承当するなり、示して云く、