酔古堂剣掃 / 集峭・集峭の小序
今天下皆婦人矣,封疆縮其地,而中庭之歌舞猶喧;戰血枯其人,而滿座之貂貚自若。我輩書生,既無誅賊討亂之柄,而一片報國之忱,惟于寸楮尺只字間見之;使天下之鬚眉而婦人者,亦聳然有起色。集峭第三。
新字:今天下皆婦人矣,封疆縮其地,而中庭之歌舞猶喧;戦血枯其人,而満座之貂貚自若。我輩書生,既無誅賊討乱之柄,而一片報国之忱,惟于寸楮尺只字間見之;使天下之鬚眉而婦人者,亦聳然有起色。集峭第三。
書き下し
今、天下は皆婦人なり。封疆は其の地を縮むるも、中庭の歌舞は猶ほ喧しく;戰血は其の人を枯らすも、滿座の貂貚は自若たり。我が輩書生は、既に賊を誅し亂を討つの柄無し、而して一片報國の忱は、惟だ寸楮尺只字の間に之を見す;天下の鬚眉にして婦人なる者をして、亦た聳然として起色有らしめん。集峭第三。
現代語訳
今の天下は、みな女のようになってしまいました。国境は領土を削られて縮んでいるのに、宮廷の中庭では歌や舞がなおにぎやかで、戦の血は人々を枯らしているのに、座を埋める貂の尾と蝉の飾りの冠をつけた高官たちは平然としています。私たち書生には、賊を討ち乱を平らげる権限はありません。それでも国に報いようとするひとかけらの真心は、ただわずかな紙片や片言隻句の間に表すほかありません。天下の、ひげを生やしながら女のようになってしまった男たちにも、はっと身を起こして奮い立つ気色を持たせたいのです。集峭第三。
解説
陸紹珩が集峭の巻頭に置いた小序で、この巻を編んだ動機を述べています。峭は山が険しくそびえるさまで、ここでは鋭く激しい言葉を指します。明末は北方の後金の圧迫と各地の反乱で国境が削られていく時代でした。それでも宮廷や高官たちは歌舞と宴に明け暮れている、と作者は憤ります。婦人のようだという言い方は当時の常套で、男たちが気骨を失ったことを責める比喩です。貂貚(貂蝉)は貂の尾と蝉の飾りをつけた高官の冠です。武力を持たない書生にできるのは言葉で人を奮い立たせることだけだ、という覚悟が、この巻の鋭い句の数々につながります。言葉の力を信じる者の宣言として読みたい序です。
この章句が説くこと
憂国気骨書生言葉処世
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