酔古堂剣掃 / 集情・端無くも相思の水を飲む
無端飲卻相思水,不信相思想殺人。
新字:無端飲却相思水,不信相思想殺人。
書き下し
端無くも相思の水を飲み卻し、信ぜず相思の人を想ひ殺さんとは。
現代語訳
思いがけず恋の水を飲んでしまいましたが、恋しさが人を死ぬほど思い悩ませるものだとは信じていませんでした。
解説
恋を知る前と後の落差を、軽やかな口調で詠んだ七言の対句です。無端は「わけもなく、思いがけず」、飲卻は飲んでしまうこと、相思は互いに思い合う恋心です。想殺は「死ぬほど思う」という強めの言い方で、殺は程度のはなはだしさを表す字です。恋の水をうっかり飲んでしまったが、まさか恋がこれほど人を苦しめるとは思っていなかった、と自嘲まじりに振り返っています。相思を二度繰り返す民歌風の響きも耳に残ります。何事も、身をもって知るまではその重さが分からないものです。人の悩みを軽く見ないための戒めとしても読めるでしょう。
この章句が説くこと
恋情相思経験自嘲共感
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