呻吟語 / 内篇・談道・多言の後人を誤るや
耳聞底、眼見底、身觸頭戴足踏底,燦然確然,無非都是這個,拈起一端來,色色都是這個。卻向古人千言萬語、陳爛葛藤鑽研窮究,意亂神昏了不可得,則多言之誤後人也噫!
新字:耳聞底、眼見底、身触頭戴足踏底,燦然確然,無非都是這個,拈起一端来,色色都是這個。却向古人千言万語、陳爛葛藤鑽研窮究,意乱神昏了不可得,則多言之誤後人也噫!
書き下し
耳に聞く底、眼に見る底、身に觸れ頭に戴き足に踏む底は、燦然確然として、無非都て是れ這個なり。一端を拈び起こし來たれば、色色都て是れ這個なり。卻って古人の千言萬語、陳爛の葛藤に向かひて鑽研窮究し、意亂れ神昏くして了に得可からず。則ち多言の後人を誤るや噫。
現代語訳
耳に聞こえるもの、目に見えるもの、身に触れ頭に載り足に踏むものは、はっきりと確かに、どれもみなこれです。どれか一つを拾い上げれば、何もかもがこれです。それなのに古人の千の言葉万の言葉、古びてもつれた蔓のような議論に向かって掘り下げ究め、心は乱れ頭は暗くなって、結局何も得られません。ああ、多くの言葉が後の人を誤らせるものです。
解説
求めているものは目の前に丸ごとある、という前提から始まります。それなのに古びた議論の蔓にもぐりこみ、頭を暗くして何も得られない。噫という嘆きで終わるのが印象的です。学問への否定ではなく、順序への異議でしょう。先に目の前を見て、それから言葉に当たれということです。答えは遠くではなく、手元にあるという前提に立っています。だから学びの順序が問われるのです。
この章句が説くこと
日常経験多言書物順序
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。旦暮に以て天下に教誨を為し、天下の衆を之れ疑わしめ、天下の衆をして皆な鬼神の有無の别に疑惑せしむ。是を以て天下亂る。是の故に子墨子曰く、今、天下の王公大人・士君子、實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、故に當に鬼神の有ると無きとの别、以て将に此を眀察せざる可からざる者と為すべきなり。既に鬼神の有無の别を以て察せざる可からずと為し已わる。然らば則ち吾れ此を眀察するを為すに、其の説、将に奈何にして可ならんとするや。子墨子曰く、是れ天下の以て有ると無きとを察知する所の道なる者と、必ず衆の耳目の實を以て有無を知るを儀と為す者なり。請に之を聞き之を見るに惑わば、則ち必ず以て無しと為さん。是くの若くんば何ぞ嘗みに一鄉一里に入りて之を問わざる。古より以て今に及ぶまで、生民より以來の者、亦た嘗て鬼神の物を見、鬼神の聲を聞くこと有らば、則ち鬼神、無しと謂う可けんや。若し聞く莫く見る莫くんば、則ち鬼神、有りと謂う可けんや。
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