酔古堂剣掃 / 集情・誰か解語と爲りて香帷に來らん
盈盈相隔愁追隨,誰為解語來香帷。
新字:盈盈相隔愁追随,誰為解語来香帷。
書き下し
盈盈として相隔たり追隨を愁ふ、誰か解語と爲りて香帷に來らん。
現代語訳
水を満々とたたえた川に隔てられて、あとを追っていけないことを悲しみます。誰が言葉を解する花となって、この香りただよう帳の内へ来てくれるでしょうか。
解説
隔てられた恋の嘆きを、二つの古典の言葉で詠んだ七言の対句です。盈盈は水が満ちているさまで、『古詩十九首』に牽牛と織女が「盈盈たる一水の間」に隔てられて語り合えないと詠まれたのを踏まえます。解語は「解語の花」、すなわち言葉の分かる花のことで、唐の玄宗が楊貴妃をこう呼んだと伝えられます。香帷は香をたきしめた寝室の帳です。川一つ隔てただけで近くて遠い相手を思い、心を分かってくれる人の訪れを待つ寂しさが伝わります。物理的な距離より、心の通う相手がいないことこそが人を孤独にします。語り合える人の存在の尊さを思わせる句です。
この章句が説くこと
恋情牽牛解語花孤独詩情
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