酔古堂剣掃 / 集情・一窻の夜雨梨花を瘦せしむ
陌上繁華,兩岸春風輕柳絮;閨中寂寞,一窻夜雨瘦梨花。
新字:陌上繁華,両岸春風軽柳絮;閨中寂寞,一窓夜雨痩梨花。
書き下し
陌上の繁華、兩岸の春風柳絮を輕くし、閨中の寂寞、一窻の夜雨梨花を瘦せしむ。
現代語訳
外の道はにぎやかで、両岸を吹く春風が柳の綿毛を軽やかに舞わせていますが、部屋の中はひっそりと寂しく、窓を打つ夜の雨が梨の花をやせ細らせています。
解説
外の春のにぎわいと、部屋に一人いる女性の寂しさを対比した対句です。陌上は道のほとり、柳絮は春に綿のように舞う柳の種です。閨中は女性の部屋のことです。梨花は白く清らかな花で、白居易の長恨歌で楊貴妃の涙顔を、梨花一枝春雨を帯ぶと詠んだように、涙にぬれた美しい人のたとえにもなります。梨花を瘦せしむとは、花が雨に散るとともに、待つ人がやつれていくことを重ねています。周りがにぎやかであるほど、自分だけが取り残されたような孤独は深まるものです。そうした気持ちの人がそばにいないか、気にかけたいものです。
この章句が説くこと
情孤独春雨対比
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