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酔古堂剣掃 / 集情・形影自ら管鮑と爲る

肝膽誰憐,形影自為管鮑;唇齒相濟,天涯孰是窮交。興言及此,輒欲再廣絕交之論,重作署門之句。

新字:肝胆誰憐,形影自為管鮑;唇歯相済,天涯孰是窮交。興言及此,輒欲再広絶交之論,重作署門之句。

書き下し

肝膽誰か憐れまん、形影自ら管鮑と爲る。唇齒相濟ふ、天涯孰か是れ窮交ならん。言を興して此に及べば、輒ち再び絕交の論を廣め、重ねて署門の句を作らんと欲す。

現代語訳

私の真心を誰が分かってくれるでしょう。自分の体と影だけが、管仲と鮑叔のような親友です。唇と歯のように助け合える、困ったときの友は、この世の果てまで探しても誰がいるでしょうか。話がここに及ぶたびに、もう一度絶交を論じた文を書き広げ、門に交友の本性を書きつけた句をまた作りたくなります。

解説

世間の友情の薄さを激しく嘆いた、集峭らしい一則です。肝膽は真心、管鮑は互いを深く理解し合った春秋時代の管仲と鮑叔で、管鮑の交わりの語の元です。唇齒は、一方が欠ければ他方が困る助け合いの関係です。窮交は困窮したときの交わりをいいます。絶交の論は、梁の劉峻が世間の打算的な交友を痛烈に批判した廣絶交論のこと、署門の句は、漢の翟公が官を失うと客が去り、復職すると戻ってきたのを見て、門に交情の移ろいを書きつけた話です。うまくいかないときに離れていく人は多いものです。だからこそ、残ってくれた友を一生大切にしたいものです。

この章句が説くこと

交友友情信義処世故事

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