酔古堂剣掃 / 集情・緣の寄する所一往にして深し
緣之所寄,一往而深。故人恩重,來燕子於雕梁;逸士情深,托鳧雛於春水。好夢難通,吹散巫山雲氣;仙緣未合,空探游女珠光。
新字:縁之所寄,一往而深。故人恩重,来燕子於雕梁;逸士情深,托鳧雛於春水。好夢難通,吹散巫山雲気;仙縁未合,空探游女珠光。
書き下し
緣の寄する所、一往にして深し。故人恩重くして、燕子を雕梁に來らしめ、逸士情深くして、鳧雛を春水に托す。好夢通じ難く、巫山の雲氣を吹き散じ、仙緣未だ合せず、空しく游女の珠光を探る。
現代語訳
縁というものは、ひとたび結ばれるとどこまでも深くなります。昔なじみの恩が厚ければ、燕は彫刻を施した梁にまた戻ってきますし、世を離れた人の情が深ければ、鴨の雛を春の水に託して育てます。けれども、よい夢はなかなか通じず、巫山の雲(神女との逢瀬)も吹き散らされてしまい、仙女との縁もまだ結ばれず、水辺の女神の真珠の光をむなしく探し求めるばかりです。
解説
縁の深さと、思うように結ばれない縁のもどかしさを並べた一則です。一往にして深しは、ひとたび心が向かえばどこまでも深まるという意味です。燕が恩ある家に毎年戻る話や、隠者が生き物を慈しむ姿は、縁が情によって続くことを示します。後半の巫山の雲は、楚王が夢で神女と契ったという話、游女の珠光は、鄭交甫が漢水の女神から佩玉をもらったが、すぐに消えてしまったという話を踏まえています。縁は深めることはできても、無理に結ぶことはできません。今ある縁を大切に育てることが、結局は一番確かな道なのでしょう。
この章句が説くこと
縁情故事恩交友
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