酔古堂剣掃 / 集情・然諾を重んずること丘山の如し
桃葉題情,柳絲牽恨。胡天胡帝,登徒於焉怡目;為雲為雨,宋玉因而蕩心。輕泉刀若土壤,居然翠袖之朱家,重然諾如丘山,不添紅籹之季布。
新字:桃葉題情,柳糸牽恨。胡天胡帝,登徒於焉怡目;為雲為雨,宋玉因而蕩心。軽泉刀若土壤,居然翠袖之朱家,重然諾如丘山,不添紅籹之季布。
書き下し
桃葉に情を題し、柳絲に恨みを牽く。胡ぞ天なる胡ぞ帝なる、登徒於焉に目を怡ばしめ、雲と為り雨と為る、宋玉因りて心を蕩かす。泉刀を輕んずること土壤の若く、居然として翠袖の朱家、然諾を重んずること丘山の如く、紅籹の季布に添(忝)ぢず。
現代語訳
桃葉(王献之の愛妾)には思いを詩に書きつけ、柳の糸には別れの恨みを結びつけます。天女か神かと見まがう美しさに、登徒子(好色で知られた人物)はここに目を楽しませ、雲となり雨となる巫山の神女の話に、宋玉(楚の文人)は心をとろかしました。一方で、お金を土くれのように軽んじる女性は、まるで緑の袖をまとった朱家(漢の侠客)であり、約束を山のように重んじる女性は、紅粧の季布(一諾千金で知られた漢の人)の名に恥じません。
解説
前半で恋の情の甘さを、後半で女性の侠気と信義をたたえた一則です。胡天胡帝は詩経の句で、神のような美しさをいいます。登徒子と巫山の雲雨は、どちらも宋玉の賦に出てくる話です。後半の朱家は財を惜しまず人を救った漢の侠客、季布は一度引き受けたことは必ず守った人で、一諾千金の語の元になりました。泉刀は銭のことです。原文の添は、忝(はずかしめる)の誤りとみて訳しました。情に厚いだけでなく、お金に淡く約束に固い人こそ本当に頼もしいという見方は、男女を問わず今も通じます。
この章句が説くこと
信義情約束侠気節操
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