酔古堂剣掃 / 集情・多情豈に腰に在らんや
妙唱非關古,多情豈在腰。
新字:妙唱非関古,多情豈在腰。
書き下し
妙唱は古に關はるに非ず、多情は豈に腰に在らんや。
現代語訳
すばらしい歌は古いかどうかとは関係がなく、情の深さはどうして細い腰にあるでしょうか。
解説
本当の価値は外側の条件にはないと言い切った短い対句です。妙唱はすぐれた歌で、古いものほど尊いとは限らないと言います。腰は、楚王が細い腰の女性を好んだので宮中に飢える者が出たという故事で知られる細腰のことで、見た目の美しさの代表です。情の深さは体つきではなく心にあるという主張は、集情の中でも芯の通った一句です。古さや見た目という分かりやすい物差しに頼ると、本当の良さを見落とします。人を選ぶときも物を選ぶときも、肩書きや外見より中身を見ようとする姿勢を思い出させてくれる言葉です。
この章句が説くこと
情本質外見風雅見識
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