酔古堂剣掃 / 集情・當に情の爲に死すべし
語云,當為情死,不當為情怨。明乎情者,原可死而不可怨者也。雖然,既雲情矣,此身已為情有,又何忍死耶?然不死終不透徹耳。韓翃之柳,崔護之花,漢宮之流葉,蜀女之飄梧,令後世有情之人咨嗟想慕,托之語言,寄之歌詠;而奴無昆崙,客無黃衫,知己無押衙,同志無虞侯,則雖盟在海棠,終是陌路蕭郎耳。湯若士有言:“理之所必無,安知非情之所或有?”又云:“生生死死為情,多情之極,欲生不得,欲死不得。可以生而死,可以死而生。如竟拋卻青娥,厭厭一死,亦非情之至者矣。”集情第二。
新字:語云,当為情死,不当為情怨。明乎情者,原可死而不可怨者也。雖然,既雲情矣,此身已為情有,又何忍死耶?然不死終不透徹耳。韓翃之柳,崔護之花,漢宮之流葉,蜀女之飄梧,令後世有情之人咨嗟想慕,托之語言,寄之歌詠;而奴無昆崙,客無黄衫,知己無押衙,同志無虞侯,則雖盟在海棠,終是陌路蕭郎耳。湯若士有言:“理之所必無,安知非情之所或有?”又云:“生生死死為情,多情之極,欲生不得,欲死不得。可以生而死,可以死而生。如竟抛却青娥,厭厭一死,亦非情之至者矣。”集情第二。
書き下し
語に云ふ、當に情の爲に死すべく、當に情の爲に怨むべからず、と。情に明らかなる者は、原より死すべくして怨むべからざる者なり。 然りと雖も、既に情と雲(云)ふ、此の身已に情の有と爲る、又何ぞ死するに忍びんや。然れども死せざれば終に透徹せざるのみ。 韓翃の柳、崔護の花、漢宮の流葉、蜀女の飄梧は、後世有情の人をして咨嗟想慕せしめ、之を語言に托し、之を歌詠に寄す。 而るに奴に昆崙無く、客に黃衫無く、知己に押衙無く、同志に虞侯無ければ、則ち盟は海棠に在りと雖も、終に是れ陌路の蕭郎のみ。 湯若士言へる有り、「理の必ず無き所、安んぞ情の或いは有る所に非ざるを知らんや」と。 又云ふ、「生生死死は情の爲なり、多情の極みは、生きんと欲して得ず、死せんと欲して得ず。以て生きて死すべく、以て死して生くべし。如し竟に青娥を拋卻して、厭厭として一死せば、亦た情の至れる者に非ず」と。 集情第二。
現代語訳
古い言葉に「情のためには死ぬべきであり、情のために恨むべきではない」とあります。情をよく分かっている人は、もともと情のために死ぬことはあっても、恨むことはないものです。とはいえ、情と言う以上、この身はすでに情のものとなっているのですから、どうして死ぬに忍びましょうか。けれども死ななければ、結局は情を突き詰めることはできません。韓翃の柳(引き裂かれた恋人の柳氏)、崔護の花(桃の花の下で出会った娘)、漢の宮殿から流れ出た葉(宮女が詩を書いて流した葉)、蜀の女の舞い散る梧桐の葉(葉に託した恋の詩)は、後の世の情ある人々を嘆かせ慕わせ、言葉に託させ、歌に詠ませてきました。しかし、崑崙奴(恋人たちを助けた崑崙の下僕)のような下僕もなく、黄衫の客(霍小玉のために男を連れ戻した黄色い上着の侠客)のような人もなく、古押衙(無双を救い出した侠士)のような知己もなく、許虞候(柳氏を奪い返した武将)のような同志もいなければ、たとえ海棠の下で誓いを交わしても、結局は道ですれ違う他人となった蕭郎(恋人と引き離された男)にすぎません。湯若士(明の劇作家湯顕祖)は「理において決してありえないことが、情においてはありうるかもしれないと、どうして分からないことがあろうか」と言いました。また「生きるも死ぬも情のためである。情が極まれば、生きようとしても生きられず、死のうとしても死ねない。生きながら死ぬこともでき、死んでも生き返ることができる。もし結局、恋しい人を捨てて、気力なく死んでしまうなら、それもまた情の極みではない」とも言っています。集情第二。
解説
この章句が説くこと
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