酔古堂剣掃 / 集情・蛾眉未だ贖はず
蛾眉未贖,謾勞桐葉寄相思;潮信難通,空向桃花尋往跡。
新字:蛾眉未贖,謾労桐葉寄相思;潮信難通,空向桃花尋往跡。
書き下し
蛾眉未だ贖はず、謾りに桐葉を勞して相思を寄す。 潮信通じ難く、空しく桃花に向ひて往跡を尋ぬ。
現代語訳
美しい眉のあの人をまだ身請けできず、むなしく桐の葉に詩を書いて恋しい思いを寄せています。潮の満ち引きのような確かな便りも通じにくく、むなしく桃の花に向かって昔の跡を尋ねています。
解説
身請けできない恋人への届かない思いを、恋の故事を重ねて描いた一則です。蛾眉は蛾の触角のように細く美しい眉で、美人を指します。贖はここでは、身を縛られた女性を代価を払って自由にすることを言います。木の葉に思いを書き寄せるのは、宮女が葉に詩を書いて流し、それが縁で結ばれたという唐代の話の類によります。潮信は満ち引きの時を違えない潮のことで、確かな便りのたとえです。桃花は、唐の崔護が桃の花の咲く家で出会った娘を翌年訪ねたが会えなかったという話を思わせます。どれほど思いを寄せても届かず、昔の跡をたどっても人はいないという嘆きです。思うだけでは何も変わらないもどかしさが、切々と伝わってきます。
この章句が説くこと
情恋慕故事便り桃花
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