酔古堂剣掃 / 集情・新愁の來路を隔て斷たず
孤燈夜雨,空把青年誤,樓外青山無數,隔不斷新愁來路。
新字:孤灯夜雨,空把青年誤,楼外青山無数,隔不断新愁来路。
書き下し
孤燈夜雨、空しく青年を把りて誤る、樓外の青山無數なるも、新愁の來路を隔て斷たず。
現代語訳
ひとつきりの灯火に夜の雨。むなしく若い年月を無駄にしてしまいました。楼の外には青い山々が数えきれないほど連なっていますが、新しい愁いがやって来る道を隔てて断ち切ってはくれません。
解説
詞の一節のような、長短の句を組み合わせた一則です。孤灯夜雨は、独り灯火の下で夜の雨音を聞く寂しい情景を言います。青年はここでは若い年月のことで、それを空しく誤ってしまったという悔いが語られます。後半では、楼の外に幾重にも連なる青い山が、遠くの人との間を隔てているのに、愁いだけはその山を越えてやって来ると嘆きます。山は人を隔てても、思いまでは隔てられないという逆説が、この句の味わいです。若い時間を思い悩みに費やしたという悔いは、昔も今も多くの人が抱くものでしょう。過ぎた時間を嘆くより、これからの時間をどう使うかに目を向けたいものです。
この章句が説くこと
情愁い青春後悔孤独
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