酔古堂剣掃 / 集情・悲火常に心曲を燒く
悲火常燒心曲,愁雲頻壓眉尖。
新字:悲火常焼心曲,愁雲頻圧眉尖。
書き下し
悲火常に心曲を燒き、愁雲頻りに眉尖を壓す。
現代語訳
悲しみの火がいつも胸の奥を焼き、愁いの雲がしきりに眉の先に重くのしかかります。
解説
悲しみと愁いを、火と雲という目に見えるものに変えて描いた対句です。心曲は心の奥底、眉尖は眉の端を言います。悲しみは内側から胸を焼く火として、愁いは外から眉に垂れこめる雲として表され、内と外の両方から人を苦しめる様子が伝わります。眉をひそめるという表情が、そのまま雲の重さとして感じられるのが巧みなところです。集情では少し後にもよく似た句が置かれ、同じ嘆きが言葉を変えて繰り返されます。悲しみを言葉にして形を与えることは、それを離れて見つめる第一歩にもなります。つらい気持ちを抱えたとき、それを何にたとえられるか考えてみるだけでも、心は少し軽くなるかもしれません。
この章句が説くこと
情悲しみ愁い比喩心
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