酔古堂剣掃 / 集醒・詩酒も人に徇へば地獄なり
山棲是勝事,稍一縈戀,則亦市朝;書畫賞鑒是雅事,稍一貪癡,則亦商賈;詩酒是樂事,少一徇人,則亦地獄;好客是豁達事,一為俗子所撓,則亦苦海。
新字:山棲是勝事,稍一縈恋,則亦市朝;書画賞鑒是雅事,稍一貪痴,則亦商賈;詩酒是楽事,少一徇人,則亦地獄;好客是豁達事,一為俗子所撓,則亦苦海。
書き下し
山棲は是れ勝事なるも、稍一たび縈戀すれば、則ち亦た市朝なり。書畫の賞鑒は是れ雅事なるも、稍一たび貪癡すれば、則ち亦た商賈なり。詩酒は是れ樂事なるも、少しく一たび人に徇へば、則ち亦た地獄なり。客を好むは是れ豁達の事なるも、一たび俗子の撓す所と為れば、則ち亦た苦海なり。
現代語訳
山に住むのはすばらしいことですが、少しでも執着すると、それもまた市場や朝廷と同じになります。書画の鑑賞は風雅なことですが、少しでも欲に溺れると、それもまた商人と同じになります。詩と酒は楽しいことですが、少しでも人に合わせて無理をすると、それもまた地獄になります。客を好むのはおおらかなことですが、ひとたび俗な人に乱されると、それもまた苦しみの海になります。
解説
風雅な楽しみも、心の持ち方ひとつで俗事や苦しみに変わると説く一則です。菜根譚にも、山林は勝地だが一たび執着すれば市朝になるという似た句があります。山住まい、書画、詩酒、客好きという四つの雅事が、それぞれ執着、貪欲、迎合、俗人の干渉によって、市朝、商賈、地獄、苦海に転じます。縈恋はまとわりつく執着、貪痴は欲に溺れること、徇人は人に合わせることです。楽しみの形が雅であっても、そこに執着や見栄や無理が入れば、心は少しも自由になりません。趣味や付き合いが、いつの間にか義務や競争になっていないか、ときどき立ち止まって確かめたいものです。
この章句が説くこと
風雅執着閑適隠逸処世
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