酔古堂剣掃 / 集醒・武安六國の印、人を害す
觀蘇季子以貧窮得志,則負郭二頃田,誤人實多;觀蘇季子以功名殺身,則武安六國印,害人亦不淺。
新字:観蘇季子以貧窮得志,則負郭二頃田,誤人実多;観蘇季子以功名殺身,則武安六国印,害人亦不浅。
書き下し
蘇季子の貧窮を以て志を得たるを觀れば、則ち負郭二頃の田、人を誤ること實に多し。 蘇季子の功名を以て身を殺せるを觀れば、則ち武安六國の印、人を害すること亦た淺からず。
現代語訳
蘇季子(戦国時代の遊説家蘇秦)が貧しさをばねにして志を遂げたことを見ると、町の城郭近くにある二頃の田畑、つまりほどほどの安楽な暮らしは、実に多くの人を誤らせていると分かります。蘇季子が功名のために身を滅ぼしたことを見ると、武安君として六国の宰相の印を帯びた栄光も、人を害することが浅くはないと分かります。
解説
戦国時代の遊説家蘇秦の一生から、貧しさと栄達の両方の危うさを引き出した一則です。蘇季子は蘇秦のことで、『史記』によれば、彼は六国の宰相の印を帯びたのち、もし洛陽の城郭近くに二頃の田があったなら、どうして六国の相印を帯びることができただろうかと語りました。ほどほどの財産があれば人は安住して志を失う、というわけです。一方で蘇秦は、武安君に封じられるほどの功名を得ながら、最後は斉で刺客に襲われて命を落としました。安楽な暮らしは志を眠らせ、大きな栄達は身を危うくします。どちらに偏っても人を損なうという指摘は、豊かさと成功の扱い方を考えるうえで今も示唆に富んでいます。
この章句が説くこと
功名貧窮立志栄達戒め
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