酔古堂剣掃 / 集醒・蓋棺の日何物か殉ずべき
市爭利,朝爭名,蓋棺日何物可殉篙里?春賞花,秋賞月,荷鍤時此身常醉蓬萊。
新字:市争利,朝争名,蓋棺日何物可殉篙里?春賞花,秋賞月,荷鍤時此身常酔蓬萊。
書き下し
市に利を爭ひ、朝に名を爭ふ、蓋棺の日何物か篙里に殉ずべき。 春は花を賞し、秋は月を賞す、鍤を荷ふ時此の身常に蓬萊に醉ふ。
現代語訳
市場では利益を争い、朝廷では名誉を争います。しかし棺の蓋を閉じる日に、何を墓場まで持っていけるでしょうか。春には花を愛で、秋には月を愛でます。死んだらそこに埋めよと鋤を担がせて酒を楽しむとき、この身はいつも蓬莱(仙人の島)に酔っているのです。
解説
名利を争う一生と、風雅に酔う一生を対比した一則です。名は朝に争い利は市に争うというのは、『戦国策』にも見える古い言い回しです。蓋棺は棺の蓋をすること、篙里は墓地を言う蒿里の意味で読みました。どれほど利を集め名を上げても、死んで墓に持っていけるものは何もありません。後半の荷鍤は、晋の劉伶が鋤を担いだ従者を連れて酒を飲み歩き、死んだらそこに埋めよと言った故事によります。蓬莱は東海にあるという仙人の島です。死を覚悟して今を楽しむ劉伶の姿に、名利にとらわれない自由を見ているのです。最後に何が残るのかと考えてみると、日々の選択が変わるかもしれません。
この章句が説くこと
名利風雅生死達観閑適
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