酔古堂剣掃 / 集醒・石盡きて玉出づ
攻玉于石,石盡而玉出;淘金于沙,沙盡而金露。
新字:攻玉于石,石尽而玉出;淘金于沙,沙尽而金露。
書き下し
玉を石に攻むれば、石盡きて玉出づ。 金を沙に淘ぐれば、沙盡きて金露はる。
現代語訳
石の中から玉を磨き出せば、石が削り尽くされて玉が現れます。砂の中から金をより分ければ、砂が流し尽くされて金が姿を見せます。
解説
不要なものを取り去った先に本当の価値が現れることを、玉と金にたとえた対句です。攻玉は玉を磨くこと、淘金は水で砂を洗い流して砂金を取り出すことを言います。『詩経』小雅の「他山の石、以て玉を攻むべし」にも攻玉の語が見えます。玉も金も最初から輝いて見えているわけではなく、石や砂に包まれています。根気よく削り、洗い流して、はじめて姿を現すのです。人の修養も同じで、欲や雑念、見栄を少しずつ取り除いていけば、もともと持っている良さが現れてきます。何かを付け足すより、余計なものを減らすことで磨かれるものがあると気づかせてくれる言葉です。
この章句が説くこと
修養研鑽本質忍耐修身
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