酔古堂剣掃 / 集醒・樂天知命を以て西方と爲す
以書史為園林,以歌詠為鼓吹,以理義為膏梁,以著述為文繡,以誦讀為菑畬,以記問為居積,以前言往行為師友,以忠信篤敬為脩持,以作善降祥為因果,以樂天知命為西方。
新字:以書史為園林,以歌詠為鼓吹,以理義為膏梁,以著述為文繍,以誦読為菑畬,以記問為居積,以前言往行為師友,以忠信篤敬為脩持,以作善降祥為因果,以楽天知命為西方。
書き下し
書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、理義を以て膏梁と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て菑畬と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て脩持と爲し、作善降祥を以て因果と爲し、樂天知命を以て西方と爲す。
現代語訳
書物と史書を庭園とし、詩歌を吟じることを楽の音とし、道理と正義をごちそうとし、著述を美しい刺繍の衣とし、読誦を田畑の耕作とし、記憶して学んだことを蓄えの財とし、昔の人の言葉と行いを師や友とし、忠実・誠信・篤実・敬慎を修養の拠りどころとし、善を行えば幸いが降るという教えを因果の理とし、天を楽しみ命を知ることを西方浄土とします。
解説
十の「以て〜と爲す」を連ねて、読書人の暮らしの全体を描いた一則です。庭園も音楽も美食も美服も、田畑も財産も、師友も信仰も、すべて学問と徳の中に見いだせると言います。膏梁は脂ののった肉と上等の穀物で、ごちそうのことです。菑畬は開墾したばかりの田と三年目の田で、耕作を意味します。作善降祥は『書経』伊訓篇の「善を作せば之に百祥を降す」によります。楽天知命は『易経』繋辞伝の言葉で、天命を楽しんで受け入れることです。最後にそれを西方浄土になぞらえ、儒の教えの中に仏の極楽を見いだしているのが、この書らしいところです。物を持たなくても、心の持ち方次第で暮らしは豊かになるという宣言として読めます。
この章句が説くこと
読書学問楽天知命修身
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