酔古堂剣掃 / 集醒・眞の放肆は高歌に在らず
真放肆不在飲酒高歌,假矜持偏於大庭廣眾;看明世事透,自然不重功名;認得當下真,是以常尋樂地。
新字:真放肆不在飲酒高歌,仮矜持偏於大庭広衆;看明世事透,自然不重功名;認得当下真,是以常尋楽地。
書き下し
眞の放肆は酒を飲み高歌するに在らず、假の矜持は偏へに大庭廣衆に於てす。 世事を看明して透れば、自然に功名を重んぜず。 當下の眞を認め得、是を以て常に樂地を尋ぬ。
現代語訳
本当の自由奔放さは、酒を飲んで大声で歌うことにあるのではありません。偽りの取り澄ましは、決まって大勢の人前で行われます。世の中の事をはっきり見抜いていれば、おのずと功名を重んじなくなります。今この時の真実をつかんでいるからこそ、いつも楽しみの境地を見出せるのです。
解説
本物と偽物の見分け方を二つの面から述べ、そこから生き方へとつなげた一則です。放肆は気ままに振る舞うこと、矜持はここでは取り澄まして体裁を繕うことを言います。酒に酔って騒ぐのは見かけだけの奔放さで、本当に自由な人は心が縛られていないだけで、外見は静かなものです。逆に偽物の謹厳さは、人目の多い場所でこそ発揮されます。世の中の仕組みを見抜いた人は功名に執着せず、当下すなわち今この瞬間の真実を見つめて、どこにいても楽しみを見つけられます。人前での振る舞いと一人のときの姿に差がないかを確かめることは、自分の本当の姿を知る近道です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
真偽功名自在当下楽
関連する章句
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『慎思録』巻之一君子の心に、本然の楽しみ有り。是れ人心の固有する所、天性の自然なり。花月の目を悦ばしめ、声楽の耳を娯しましむるの類の如きは、是れ特に外物を藉りて、吾が楽しみを助くるなり。専ら是を以て楽しみの主と為すに非ず。苟も心本然の楽しみを失ひて、徒らに身外の尤物を以て悦楽と為さんと欲するは、是れ外物を以て楽しみの主と為す。惑ひて楽しまざる所以なり。君子の楽しみと為す所に非ざるなり。
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『慎思録』巻之四楽の一字は、聖人の屢言ふ所、必ず以有るなり。是れ学者の当に知るべき所なり。以て高遠にして及ぶべからずと為して廃棄すべからざるなり。蓋し礼楽は脩身の本なり。礼は敬のみ。楽は楽なり。二者は、斯須も身を去るべからざる所以なり。楽は是れ心の生理なり。常人と雖も亦た之有り。君子は楽しみて道に順ひ、道を以て欲を制す。則ち楽しみて乱れず。小人は楽しみて欲に順ひ、欲を以て道を忘る。則ち乱れて楽しまず。蓋し小人の楽しむ所は、真の楽に非ざるなり。故に君子にして而る後に楽を得。楽に非ざれば則ち以て君子と為すべからず。仁者は憂へず。楽と憂との消長を以て、君子小人分かる。
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『慎思録』巻之一孔顔の楽しみと、吟風弄月の楽しみとの同じからずと為す者は、何ぞや。蓋し孔顔の楽しみは外に在らざるを以てなり。然れども吟風弄月の楽しみは外に在りと雖も、亦以て吾が楽しみを資くべし。内外相干渉せざる者に非ざるなり。
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『慎思録』巻之三君子の娯楽や、常に閑淡を好む。中庸に曰く、君子の道は、淡にして厭はず、と。蓋し閑淡を楽しめば、則ち久しくして厭はず、且つ余味有り。閙濃を楽しめば、則ち久しからずして厭ひ、亦余味無し。况んや楽しみを好みて荒めば、則ち楽しみ未だ尽きずして、憂ひ既に生ずるをや。