酔古堂剣掃 / 集醒・眞の放肆は高歌に在らず
真放肆不在飲酒高歌,假矜持偏於大庭廣眾;看明世事透,自然不重功名;認得當下真,是以常尋樂地。
新字:真放肆不在飲酒高歌,仮矜持偏於大庭広衆;看明世事透,自然不重功名;認得当下真,是以常尋楽地。
書き下し
眞の放肆は酒を飲み高歌するに在らず、假の矜持は偏へに大庭廣衆に於てす。 世事を看明して透れば、自然に功名を重んぜず。 當下の眞を認め得、是を以て常に樂地を尋ぬ。
現代語訳
本当の自由奔放さは、酒を飲んで大声で歌うことにあるのではありません。偽りの取り澄ましは、決まって大勢の人前で行われます。世の中の事をはっきり見抜いていれば、おのずと功名を重んじなくなります。今この時の真実をつかんでいるからこそ、いつも楽しみの境地を見出せるのです。
解説
本物と偽物の見分け方を二つの面から述べ、そこから生き方へとつなげた一則です。放肆は気ままに振る舞うこと、矜持はここでは取り澄まして体裁を繕うことを言います。酒に酔って騒ぐのは見かけだけの奔放さで、本当に自由な人は心が縛られていないだけで、外見は静かなものです。逆に偽物の謹厳さは、人目の多い場所でこそ発揮されます。世の中の仕組みを見抜いた人は功名に執着せず、当下すなわち今この瞬間の真実を見つめて、どこにいても楽しみを見つけられます。人前での振る舞いと一人のときの姿に差がないかを確かめることは、自分の本当の姿を知る近道です。
この章句が説くこと
真偽功名自在当下楽
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