酔古堂剣掃 / 集醒・亦た是れ道人の魔障
招客留賓,為歡可喜,未斷塵世之扳援;澆花種樹,嗜好雖清,亦是道人之魔障。
新字:招客留賓,為歓可喜,未断塵世之扳援;澆花種樹,嗜好雖清,亦是道人之魔障。
書き下し
客を招き賓を留むるは、歡を爲して喜ぶべきも、未だ塵世の扳援を斷たず。 花に澆ぎ樹を種うるは、嗜好清しと雖も、亦た是れ道人の魔障なり。
現代語訳
客を招いて引き留め、にぎやかに楽しむのは喜ばしいことですが、まだ俗世とのつながりを断ち切れていません。花に水をやり木を植えるのは、好みとしては清らかですが、これもまた修行者にとっては妨げとなるものです。
解説
修行の道の厳しさを、一見よいことにも向けて述べた一則です。客をもてなすことも、花や木を育てることも、世間的には風雅で好ましい楽しみです。しかし著者は、それさえも心を外に引っ張る縁であり、道を求める人には障りになると言います。扳援は攀援と同じで、よじ登りすがること、ここでは俗世とのつながりを指します。魔障は仏教語で、修行を妨げるものを言います。清らかな趣味であっても、執着すれば心を縛る鎖になるという指摘です。趣味は人生を豊かにしますが、それがないと落ち着かなくなっているなら要注意です。好きなものとの距離の取り方を考えさせる言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
執着修行風雅嗜好節制
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