酔古堂剣掃 / 集醒・吉人は安祥
吉人安祥,即夢寐神魂,無非和氣;凶人狠戾,即聲音笑語,渾是殺機。
新字:吉人安祥,即夢寐神魂,無非和気;凶人狠戻,即声音笑語,渾是殺機。
書き下し
吉人は安祥にして、即ち夢寐の神魂も、和氣に非ざるは無し。 凶人は狠戾にして、即ち聲音笑語も、渾て是れ殺機なり。
現代語訳
善い人は穏やかで落ち着いており、眠って夢を見ているときの魂さえも、和やかな気に満ちています。悪い人は荒々しくねじけており、話し声や笑い声までもが、すべて人を損なう気配を帯びています。
解説
人の本性は、意識していない所にまでにじみ出ることを述べた対句です。吉人は善良な人、安祥は穏やかで落ち着いたさまを言います。凶人は悪い人、狠戻は荒々しく道理に背くことで、殺機は人を害しようとする気配を指します。善人は夢の中でさえ和やかで、悪人は笑っているときでさえ刺々しいというのです。菜根譚にもほぼ同じ句があります。表面の言葉づかいや笑顔は取り繕えても、心の奥の気は隠しきれず、周りの人には伝わってしまいます。自分の気の持ち方を日々整えることが、何よりの身だしなみだと言えるでしょう。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
和気修身品格心善悪
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集豪・品は心に由りて定まる才は氣を以て雄に、品は心に由りて定まる。
-
『囲炉夜話』第百十一則・水止まりて乃ち能く物を照らす心靜かなれば則ち明らかなり、水止まりて乃ち能く物を照らす。品超ゆれば斯に遠し、雲飛びて空を礙げず。
-
『驢鞍橋』卷中師衆に対して曰く、先年三州にて、去る者、仏像を木履にして、馬舟抔にしけるが。頓てどすに成り、もらびの身と成る去る和尚見て曰く、汝仏像を破りし罰にて、加様の形も成る、無慚の事哉とありけれは、どすが曰く我は仏像を破りし罰にてどすと成る、仏像は何の罰にて我に馬舟にせられたりや。和尚無対。各は何と答へんや。衆無語師答て曰く其心かとす也。やれ善人の仏を作り寺を造るは、皆我身心を造り立る也。又悪人の仏を破り寺を破るは、我身心を破る也。木仏に善悪の心なし。皆我心にて我と作す所也
-
『太上感応篇』結論・心善に起これば、善未だ為さざるも吉神已に随ふ夫れ心善に起これば、善は未だ為さざるも、吉神已に之に随ふ。或いは心悪に起これば、悪は未だ為さざるも、凶神已に之に随ふ。其れ曾て悪事を行ふこと有るも、後に自ら改悔し、諸悪作すこと莫く、衆善奉行せば、
-
『洗心洞箚記』卷上・第百五條心太虚に帰すれば、則ち太虚は乃ち心なり。然る後に当に道と学との崖際無きを知るべきなり。夫れ人の嘉言善行は、即ち吾が心中の善にして、人の醜言悪行も、亦吾が心中の悪なり。是の故に聖人は之を外視する能はざるなり。家を斉へ国を治め天下を平らかにする、一として心中の善を存せざるは無く、一として心中の悪を去らざるは無し。道と学との崖際無きこと見るべし。或ひと曰く、子の説の如くんば、則ち悪人の刑に罹るも、亦聖人の心を刑する者か。曰く、然り。是れ即ち吾が心の悪を去るの道なり。然り而して悲しまざるを得ざるなり、豈に亦歓喜すべけんや。曰く、善人の賞に遇ふも、亦聖人の心を賞する者か。曰く、然り。是れ即ち吾が心の善を存するの道なり。然り而して喜ばざるを得ざるなり、豈に亦媢嫉すべけんや。只だ人の善を媢嫉し、人の悪を歓喜する者は、吾が心を以て我が物と為す、乃ち一小人にして、聖人太虚の心に非ざるなり。然らば則ち心なる者は、善悪混ずるか。曰く、心の体は太虚なり。太虚は一霊明のみ、何の善悪の混ずること之有らん。然れども気の往来消長は、則ち過不及無きを得ざるなり。只だ其の過不及は、便ち是れ沴気の由りて生ずる所なり。而して未だ嘗て能く太虚の霊明を損ぜざるなり。子試みに眼を仰ぎて天を看よ、則ち疑ひも亦自ら解けん。奚ぞ吾の弁を待たんや。
-
『大和俗訓』巻之五・衣服かやうの衣きたる人は、位高き人も、いやしく見ぐるしくして下部の如し。是を好むは何のためぞや。大かたに、衣服にても人の心はおしはからるるものなり。位なくても、みづからおもんずる人は、下著にもすべからず。凡人の目たつべからざるは相応なるべし、目にたつは、相応せざる故なり。帯も、いにしへは男女共にちひさかりしが、今やうは広くして見ぐるし。何の益ありや知らず。