不動智神妙録 / 諫言 其一 忠を尽くす
其心正しき時は、外より人の知る事もあらず、一念發る所に善と惡との二つあり、其善惡二つの本を考へて、善をなし惡をせざれば、心自ら正直なり。
新字:其心正しき時は、外より人の知る事もあらず、一念発る所に善と悪との二つあり、其善悪二つの本を考へて、善をなし悪をせざれば、心自ら正直なり。
書き下し
其心正しき時は、外より人の知る事もあらず、一念発る所に善と悪との二つあり、其善悪二つの本を考へて、善をなし悪をせざれば、心自ら正直なり。
現代語訳
その心が正しいときは、外から人に知られることもありません。一つの思いが起こるところに、善と悪の二つがあります。その善と悪の二つの根本を考えて、善をなし悪をしなければ、心はおのずから正直になります。
解説
善悪の分かれ目は、行動の段階ではなく、一つの思いが起こる瞬間にある、と沢庵は言う。その根本を見極めて、善を選び悪を選ばなければ、心は自然と正直になる。心が正しいときは、わざわざ外に示さなくてもよい、という前半の一句も味わい深い。立派に見せようと取り繕う必要がなくなるからだ。判断を誤る前に、心に最初に浮かんだ思いを点検する習慣を持つことが、大きな過ちを防ぐ第一歩になる。
この章句が説くこと
正直善悪一念内省誠実心
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