酔古堂剣掃 / 集醒・讀書を以て世事に通ず
士人不當以世事分讀書,當以讀書通世事。
新字:士人不当以世事分読書,当以読書通世事。
書き下し
士人は當に世事を以て讀書を分つべからず、當に讀書を以て世事に通ずべし。
現代語訳
学問をする人は、世の中の用事を理由に読書を割り引いてはなりません。読書によって世の中の事に通じるようにすべきです。
解説
読書と実務の関係について、明快な指針を示した一則です。分つは、分ける、割いて減らすという意味です。忙しいからと言って読書の時間を削るのは、読書と世事を別物と考えているからです。しかし本来、読書は世事に通じるための手段であり、両者は対立するものではないと言います。古今の書物には、人間や社会についての知恵が詰まっており、それを読むことで世の中の事柄がよく見えるようになるのです。忙しいビジネスパーソンほど、読書は余裕があるときの趣味と考えがちです。しかし、目の前の仕事を深く理解するためにこそ、本を読む時間を確保すべきなのかもしれません。読書を仕事の一部と考える発想の転換を促す言葉です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
読書学問実務処世見識
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第百七十二条 意趣を見れば銭穀も典雅此の学、意趣を見ざれば、風月を詠題するも亦俗事なり。苟も意趣を見れば、銭穀を料理するも亦典雅なり。
-
『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公既に大政に參ず。上之に謂いて曰く、人皆卿を知る能わず。以爲えらく卿は但だ經術を知りて世務を曉らずと。公對えて曰く、經術は正に世務を經る所以なり。但だ後世の所謂者は大抵皆庸人なり。故に世俗は皆以て經術は世務に施す可からずと爲すのみと。上問う、然らば則ち卿の施設する所、何を以て先と爲すと。公曰く、風俗を變じ法度を立つるは、最も方今の急なる所なりと。是に於いて青苗・市易・坊場・保甲・保馬・導洛・免役の政、相い繼ぎて並び興る。制置三司條例司を設け、知樞密院事陳升之と同じく之を領す。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修張舜民京に遊び、先達に謁を求む。是の時、公と司馬公・王荊公とは學者の趨る所なり。諸公の論は行義文史に於いて多し。惟だ公のみ與に吏事を談ず。既に之を久しくして、請う有らざるを免れず。大凡そ學ぶ者の先生に見ゆるは、道德文章を以て聞かんと欲せざるは莫し。今先生は多く人に教うるに吏事を以てす。未だ喩らざる所なりと。公曰く、然らず。吾子は皆時才なり。異日事に臨まば、當に自ら之を知るべしと。
-
『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
-
うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
-
『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。