酔古堂剣掃 / 集醒・言多き者は質實の心無し
多躁者,必無沈毅之識;多畏者,必無卓越之見;多欲者,必無慷慨之節;多言者,必無質實之心;多勇者,必無文學之雅。
新字:多躁者,必無沈毅之識;多畏者,必無卓越之見;多欲者,必無慷慨之節;多言者,必無質実之心;多勇者,必無文学之雅。
書き下し
躁多き者は、必ず沈毅の識無し。畏多き者は、必ず卓越の見無し。欲多き者は、必ず慷慨の節無し。言多き者は、必ず質實の心無し。勇多き者は、必ず文學の雅無し。
現代語訳
落ち着きのない人には、必ず沈着で毅然とした見識がありません。恐れの多い人には、必ず抜きん出た見解がありません。欲の多い人には、必ず義に感じて奮い立つ節操がありません。口数の多い人には、必ず飾り気のない誠実な心がありません。勇ましさの多い人には、必ず学問教養の雅やかさがありません。
解説
多すぎるものが、それと反対の美点を損なうことを、五つの句で示した一則です。躁、畏、欲、言、勇がそれぞれ過剰になると、沈毅、卓越、慷慨、質実、文学の雅が失われると言います。沈毅は落ち着いて強いこと、慷慨は義憤に燃えて奮い立つこと、質実は飾り気がなく誠実なことです。せわしない人は深く考えられず、臆病な人は大胆な発想ができず、欲深い人は正義のために身を投げ出せません。口の多い人は中身が伴わず、勇ましいばかりの人は教養の潤いに欠けます。どの気質も、ほどほどなら長所にもなります。五つのうち、自分に多すぎるものはどれかを見極めることが、欠けている美点を育てる手がかりになるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
中庸気質修身寡黙見識
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