格言聯璧 / 持躬類・病生じて始めて無病の樂しみを知る
閉戶,然後知平日之交濫。 寡欲,然後知平日之病多。 近情,然後知平日之念刻。 無病之身,不知其樂也。病生始知無病之樂。 無事之家,不知其福也,事至始知無事之福。
新字:閉戸,然後知平日之交濫。 寡欲,然後知平日之病多。 近情,然後知平日之念刻。 無病之身,不知其楽也。病生始知無病之楽。 無事之家,不知其福也,事至始知無事之福。
書き下し
戶を閉ぢて、然る後に平日の交はりの濫りなるを知る。 欲を寡くして、然る後に平日の病の多きを知る。 情に近づきて、然る後に平日の念の刻なるを知る。 無病の身は、其の樂しみを知らざるなり。病生じて始めて無病の樂しみを知る。 無事の家は、其の福を知らざるなり、事至りて始めて無事の福を知る。
現代語訳
門を閉ざしてみて、はじめてふだんの付き合いがむやみに多かったことがわかります。 欲を少なくしてみて、はじめてふだん病気が多かったことがわかります。 人の情に寄り添ってみて、はじめてふだんの考えがむごかったことがわかります。 病気のない身は、その楽しさを知りません。病気になってはじめて、病気のないことの楽しさを知ります。 何事もない家は、その幸福を知りません。事が起こってはじめて、何事もないことの幸福を知ります。
解説
前の単位から続く「然る後に知る」の列の後半です。門を閉ざせば交際の多すぎたことが、欲を減らせば病の多かった原因が、人情に寄り添えば自分の考えの冷たさがわかると言います。続く対句は、健康や無事という当たり前の幸福は、失って初めてわかるという、誰もが一度は身をもって知ることを述べています。どちらの句も、ふだんの状態から一歩離れてみて、初めて本当の姿が見えるという点で共通しています。病気や事件を待たずに、今日の健康と無事をありがたいと思えれば、それが一番の養生であり、家を保つ知恵なのでしょう。
この章句が説くこと
無事健康持躬感謝寡欲
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