酔古堂剣掃 / 集醒・馮歡の鋏彈きて魚無し
馮歡之鋏彈老無魚;荊軻之築擊來有淚。
新字:馮歓之鋏弾老無魚;荊軻之築撃来有涙。
書き下し
馮歡の鋏彈きて老いて魚無く、荊軻の築擊ちて來りて淚有り。
現代語訳
馮驩(孟嘗君の食客)は剣の柄をたたいて歌いましたが、年老いても食膳に魚はありませんでした。荊軻(秦王を刺そうとした刺客)のために筑が打ち鳴らされると、人々に涙がこみ上げました。
解説
二人の士の故事を並べて、不遇と悲壮を描いた対句です。馮驩は戦国時代の孟嘗君の食客で、待遇が悪いと剣の柄をたたき、長鋏よ帰らんか、食に魚無しと歌ったことで知られます。荊軻は燕の太子丹の依頼で秦王を刺しに向かった刺客で、易水のほとりで高漸離が筑を打ち、荊軻が風は蕭蕭として易水寒しと歌うと、見送る人々は涙を流しました。原文の築は、楽器の筑のことと思われます。才ある士が報われない嘆きと、死を覚悟して旅立つ悲壮さとが、並べて置かれています。世に認められない不遇も、命がけの志も、どちらも士の生き方の一面です。自分の仕事の報われなさを嘆くとき、志の在りかを問い直させる句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
不遇志士任侠立志故事
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