酔古堂剣掃 / 集醒・流水を以て弦歌を聽く
明霞可愛,瞬眼而輒空;流水堪聽,過耳而不戀。人能以明霞視美色,則業障自輕;人能以流水聽弦歌,則性靈何害。
新字:明霞可愛,瞬眼而輒空;流水堪聴,過耳而不恋。人能以明霞視美色,則業障自軽;人能以流水聴弦歌,則性霊何害。
書き下し
明霞は愛すべきも、瞬眼にして輒ち空し。流水は聽くに堪ふるも、耳を過ぎて戀はず。人能く明霞を以て美色を視れば、則ち業障自ら輕し。人能く流水を以て弦歌を聽けば、則ち性靈何ぞ害あらん。
現代語訳
明るい夕焼けの雲は愛らしいものですが、まばたきする間に消えてしまいます。流れる水の音は聞くに値しますが、耳を通り過ぎれば後を追って恋い慕うことはありません。人が夕焼け雲を見るように美しい色香を見ることができれば、業の障りは自然と軽くなります。人が流れる水の音を聞くように音楽や歌を聞くことができれば、心の霊妙な働きが損なわれることなどありません。
解説
美しいものに執着せず楽しむ心の持ち方を、夕焼けと流水にたとえた一則です。明霞は明るく輝く雲や夕焼け、弦歌は楽器の演奏と歌です。夕焼けは美しくても一瞬で消え、流水の音は心地よくても過ぎ去れば後を引きません。人はそれを惜しんで追いかけたりはしません。美しい容色や音楽も、そのように味わえれば、心が縛られることはないというのです。業障は仏教の言葉で、悪い行いが生む心の障り、性霊は人の心の本来の霊妙な働きです。美しいものを楽しむこと自体は悪くありません。問題は、それを手に入れようと執着することです。楽しみを味わい、過ぎたら手放すという軽やかさを持ちたいものです。
この章句が説くこと
執着風雅無常修身自然
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