酔古堂剣掃 / 集醒・善く默するは即ち是れ能く語る
善默即是能語,用晦即是處明,混俗即是藏身,安心即是適境。
新字:善黙即是能語,用晦即是処明,混俗即是蔵身,安心即是適境。
書き下し
善く默するは即ち是れ能く語るなり、晦を用ふるは即ち是れ明に處るなり、俗に混ずるは即ち是れ身を藏すなり、心を安んずるは即ち是れ境に適ふなり。
現代語訳
上手に黙っていることこそ、上手に語ることです。才気を隠すことこそ、明るいところに身を置くことです。俗世に混じることこそ、身を隠すことです。心を安らかにすることこそ、境遇にかなうことです。
解説
一見正反対に見えることが、実は同じであると説く四つの逆説を並べた一則です。黙ることが語ることになるのは、言うべきときを知る沈黙がかえって多くを伝えるからです。晦を用いることが明に処ることになるのは、才を隠す人がかえって物事をよく見通すからです。俗に混じることが身を蔵すことになるのは、山奥に隠れるより市中に紛れるほうが目立たないからです。心を安んずることが境に適うことになるのは、どんな環境も心の持ち方次第で住みよくなるからです。菜根譚の巧を拙に蔵すという句にも通じます。話しすぎず、目立ちすぎず、特別なところを求めず、今いる場所で心を整えることが、しなやかに生きる知恵なのでしょう。
この章句が説くこと
寡黙韜晦処世安心隠逸
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