酔古堂剣掃 / 集醒・書中の眼目を尋ね出す
讀書,須尋出書中眼目始得。
新字:読書,須尋出書中眼目始得。
書き下し
書を讀むは、須らく書中の眼目を尋ね出して始めて得べし。
現代語訳
書物を読むときは、その書の中の眼目、つまり急所を探し出してこそ、はじめて読んだといえるのです。
解説
読書の要諦を短く述べた一則です。眼目は目と目玉、転じて物事のいちばん大切な要点のことです。書物をただ字面どおりに最後まで読んでも、それだけでは読んだことになりません。その本が何を一番言いたいのか、どこに著者の思いが集まっているのかをつかんで、はじめて読書の意味があるというのです。囲碁でいう眼、絵画でいう画竜点睛の睛のように、全体を生かす一点を見つけることが大切です。仕事で資料を読むときも、報告書や企画書を読むときも同じです。細部を追うことに疲れる前に、この文書の眼目はどこかと問いながら読むと、理解が深まり、要点を人に伝える力も養われるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
読書学問要点理解修身
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を読みて、書の心を知らざれば、学問とはいはず。聖人の書は、自ら心を含め玉ふ。其心を知るを学問と云ふ。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに、文字芸者と云ふ。曰く、書を読むは同じくして、汝今分けて二つとするは、証あることに候や。
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
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『慎思録』巻之五好んで道学の名を立て、辺幅を修め色荘を務め、美誉を貪り掠むる者は、真知実行に志無し。此れ論ずるに足らずと為す。実に斯の学に志有りと雖も、復た但だ専ら文義を治め典籍に耽りて、終身義理に通暁すること能はざる者は、自ら以て道学を好むと為すと雖も、便ち是れ訓詁の学のみ。且つ曲士の如きは、道を信ずと雖も、然れども拘泥して理に達すること能はず。此れ皆君子の学と為すに足らざるなり。曲士とは是れ偏僻にして理に達せざる者なり。
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『学則』答屈景山書不佞其の是くの若きを懲り、凡そ師友の素有るに非ずして来たりて相問難する者に値ふ毎に、一切対を置かず。是れ不佞の常なり。不佞往歳蘐園随筆を作る。其の時、識見未だ定まらず、争心未だ消えず。然れども随筆の作は、自ら書して以て自ら翫び、聊か以て間を消すのみにして、初めより以て人に示すに非ざるなり。独り奈んせん、誤りて剞劂の手に堕ち、遂に諸を海内に公にす。海内の諸君子、因りて不佞を弁を好む者と謂ふ。不佞の心に非ざるなり。今来喩を観るに、亦た対を置かざるの例に在り。然りと雖も、足下既に争心無きを以て告げられ、而して君家の先生は乃ち不佞が髫年の時より私心に郷往する所なれば、則ち何ぞ必ずしも恝然たらんや。亦た唯人心の面の如き、不佞豈に能く諸を足下に喩さんや。但だ不佞の李王を取る所以の故を言ひて以て来意に酬いん。其の取舍の如きは、乃ち足下に在り。唯足下之を択べ。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。