忍経 / 九世同居
張公藝九世同居。唐高宗臨幸其家。問本末,書「忍」字以對。天子流涕,遂賜縑帛。
新字:張公芸九世同居。唐高宗臨幸其家。問本末,書「忍」字以対。天子流涕,遂賜縑帛。
書き下し
張公藝は九世同居す。唐の高宗其の家に臨幸し、本末を問ふ。「忍」の字を書きて以て對ふ。天子流涕し、遂に縑帛を賜ふ。
現代語訳
張公藝(唐の人)の家は九代がそろって同居していました。唐の高宗がその家に行幸し、そのいきさつを尋ねました。張公藝は「忍」の字を書いて答えました。天子は涙を流し、絹を賜りました。
解説
九代の家族が一緒に暮らした張公藝の話で、『旧唐書』孝友伝などに見えます。高宗に秘訣を尋ねられた張公藝は、忍の字を百余り書いて答えたと伝えられ、百忍の語が生まれました。序で呉亮が呂蒙正と並べて挙げた例でもあり、この書の題そのものを体現した人物と言えます。大家族を保つには、親子や兄弟、親族のあいだの小さな不満を一つひとつ呑み込むしかありません。天子が涙を流したのは、その積み重ねの重さを感じ取ったからでしょう。ただ、忍ぶ役目が一部の人だけに偏れば、それは和ではなく我慢の押しつけになります。皆がそれぞれに引くからこそ、長く続く和が生まれるのです。
この章句が説くこと
忍家族百忍和合家訓
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『忍経』親戚不可失歡骨肉の歡を失ふは、至微に本づきて、終に解くべからざるに至る者有り。能く先づ氣を下す有らば、則ち彼此酬復して遂に平時に好からん。宜しく深く之を思ふべし。
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『忍経』處家貴寬容古より人倫は賢否相雜る。或いは父子皆な賢なる能はず、或いは兄弟皆な令なる能はず、或いは夫流蕩し、或いは妻悍暴なり。一家の中に此の患無き者は少し。聖賢と雖も亦之を如何ともする無し。譬へば身に瘡痍疣贅有るが如し。甚だ惡むべしと雖も、決し去るべからず。唯だ當に寬懷もて之に處すべし。若し人能く此の理を知らば、則ち胸中泰然たらん。古人の所謂父子兄弟夫婦の間、人の言ひ難き所の者は、此くの如し。
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