酔古堂剣掃 / 集醒・士君子の人を陶鎔する能はず
士君子不能陶鎔人,畢竟學問中,工力未透。
新字:士君子不能陶鎔人,畢竟学問中,工力未透。
書き下し
士君子人を陶鎔する能はざるは、畢竟學問の中、工力未だ透らざるなり。
現代語訳
士君子が人を感化して育てることができないのは、結局のところ、学問の上での修練がまだ徹底していないからです。
解説
人を感化できないのは、自分の修養が足りないからだと、責任を自分に引き受ける一則です。陶鎔は、陶器を焼き金属を溶かして形を作るように、人を感化して育て上げることです。工力は修練によって身についた力、透るは徹底して行き渡ることです。人が変わらない、育たないとき、私たちは相手の資質や態度のせいにしがちです。しかしこの句は、それは自分の学問、つまり人間としての修養がまだ本物になっていないからだと言います。本当に身についた徳や学びは、言葉にしなくても周りの人に自然と伝わり、人を変えていくものだという考え方です。部下や子どもが思うように育たないとき、まず自分自身を省みる姿勢を持ちたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
学問育成感化修身自省
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