格言聯璧 / 學問類・口裏は伊周、心中は盜跖
聖賢學問是一套行王道必本天德。 後世學問是兩截不修己只管治人。 口裏伊周,心中盜跖,責人而不責己,名為掛榜聖賢。 獨凜明旦,幽畏鬼神,知人而復知天,方是有根學問。
新字:聖賢学問是一套行王道必本天徳。 後世学問是両截不修己只管治人。 口裏伊周,心中盗跖,責人而不責己,名為掛榜聖賢。 独凜明旦,幽畏鬼神,知人而復知天,方是有根学問。
書き下し
聖賢の學問は是れ一套にして、王道を行ふには必ず天德に本づく。 後世の學問は是れ兩截にして、己を修めずして只だ人を治むるを管す。 口裏は伊周、心中は盜跖、人を責めて己を責めざる、名づけて掛榜聖賢と爲す。 獨り明旦を凜み、幽に鬼神を畏れ、人を知りて復た天を知る、方めて是れ根有る學問なり。
現代語訳
聖賢の学問はひとつながりで、王道を行うには必ず天の徳に基づきます。 後世の学問は二つに切れていて、自分を修めずにただ人を治めることばかりに気を配ります。 口では伊尹や周公(殷と周の名宰相)を語りながら、心のなかは盗跖(伝説の大盗賊)で、人を責めて自分を責めない者を、看板だけの聖賢といいます。 ひとりでも夜明けの澄んだ心を慎み、人目のない所でも鬼神を畏れ、人を知るだけでなく天をも知ってこそ、根のある学問といえます。
解説
修己と治人を一続きにとらえる聖賢の学と、それを切り離してしまう後世の学とを対比する聯です。一套はひとそろい、両截は二つに切れていることです。第三句は痛烈で、口では伊尹や周公のような名臣を語りながら、心は盗跖のような者を掛榜聖賢、つまり看板を掲げただけの聖人と皮肉ります。最後の句はこれに対し、人の見ていない所でこそ身を慎む姿勢を根のある学問とします。人を指導する立場になると、他人の欠点にはよく気づくのに自分の点検がおろそかになりがちです。耳の痛い、しかし大切な戒めです。
この章句が説くこと
修己治人慎独学問自省
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