酔古堂剣掃 / 集醒・謗を造る者は甚だ忙し
造謗者甚忙,受謗者甚閒。
書き下し
謗を造る者は甚だ忙しく、謗を受くる者は甚だ閒なり。
現代語訳
悪口をこしらえる者はとても忙しく、悪口を言われる者はとてもひまです。
解説
わずか十二字で、中傷する側とされる側の姿を鮮やかに対比した一則です。謗を造る者は、あれこれ話を作り、人に言いふらし、反応を気にして、休む暇がありません。一方、謗を受ける者は、自分が何もしていない以上、相手にしなければ何も変わらず、ゆったりと構えていればよいのです。中傷する側が労力を使い、される側は落ち着いていられるという逆転が、この句の面白さです。悪口を言われると、つい反論したり弁明したりして、こちらまで忙しくなってしまいます。しかしそれは相手の土俵に乗ることです。根も葉もない噂には、慌てず騒がず、自分の仕事に打ち込んでいれば、やがて時が明らかにしてくれるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
讒言忍泰然処世噂
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