呻吟語 / 内篇・修身・言を聽きて爽たがはず
聽言不爽,非聖人不能。根以有成之心,蜚以近似之語,加之以不避嫌之事,當倉卒無及之際,懷隔閡難辯之恨,父子可以相賊,死亡可以不顧,怒室鬩牆,稽唇反目,何足道哉!古今國家之敗亡,此居強半。聖人忘於無言,智者照以先覺,賢者熄於未著,剛者絕其口語,忍者斷於不行。非此五者,無良術矣。
新字:聴言不爽,非聖人不能。根以有成之心,蜚以近似之語,加之以不避嫌之事,当倉卒無及之際,懐隔閡難弁之恨,父子可以相賊,死亡可以不顧,怒室鬩牆,稽唇反目,何足道哉!古今国家之敗亡,此居強半。聖人忘於無言,智者照以先覚,賢者熄於未著,剛者絶其口語,忍者断於不行。非此五者,無良術矣。
書き下し
言を聽きて爽たがはざるは、聖人に非ざれば能はず。根づくるに成る有るの心を以てし、蜚ばすに近似の語を以てし、之に加ふるに嫌ひを避けざるの事を以てす。倉卒及ぶ無きの際に當たり、隔閡辯じ難きの恨みを懷けば、父子も以て相賊なふ可く、死亡も以て顧みざる可し。古今國家の敗亡、此れ強半を居る。聖人は無言に忘れ、智者は先覺を以て照らし、賢者は未だ著はれざるに熄め、剛者は其の口語を絕ち、忍者は行はざるに斷ず。此の五者に非ざれば、良術無し。
現代語訳
人の言葉を聞いて食い違わないのは、聖人でなければできません。あらかじめ出来上がった心を土台にし、それらしい言葉を飛ばし、そこへ疑いを避けない出来事が重なる。とっさに間に合わない場面で、隔たってしまって弁明できない恨みを抱けば、父子でも互いを害し合い、死をも顧みなくなります。昔から国家が滅びた理由の半分以上がこれです。聖人は言わないうちに忘れ、智者は先に気づいて照らし、賢者は形になる前に消し、剛の者は自分の口を閉ざし、忍の者は行わないところで断ち切ります。この五つのほかに良い方法はありません。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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