酔古堂剣掃 / 集醒・俠の一字
俠之一字,昔以之加意氣,今以之加揮霍,只在氣魄氣骨之分。
新字:侠之一字,昔以之加意気,今以之加揮霍,只在気魄気骨之分。
書き下し
俠の一字、昔は之を以て意氣に加へ、今は之を以て揮霍に加ふ。只だ氣魄と氣骨との分に在り。
現代語訳
「俠」という一字は、昔は意気に感じて人のために尽くすことに冠せられましたが、今は金を湯水のように使うことに冠せられています。その違いは、ただ気魄と気骨の違いにあるのです。
解説
任俠という言葉の意味の変化を通して、世の中の価値観の移ろいを嘆いた一則です。昔の俠は、義を重んじ、意気に感じて弱きを助け、身を惜しまずに人に尽くすことを指しました。ところが今では、派手に金をばらまく揮霍、つまり浪費ぶりが俠と呼ばれていると言います。その分かれ目は、気魄と気骨の違いだというのです。ここでは、外に向かって勢いよく発散する力と、内に筋を通して折れない力とを区別していると読めます。気前のよさや豪快さそのものが悪いわけではありませんが、その根に筋の通った志があるかどうかが問われます。見た目の豪快さと、内に秘めた骨の太さを見分ける目を持ちたいものです。
この章句が説くこと
任侠気骨義豪放処世
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