酔古堂剣掃 / 集醒・良心は夜氣清明の候に在り
良心在夜氣清明之候,真情在簟食豆羹之間。故以我索人,不如使人自反;以我攻人,不如使人自露。
新字:良心在夜気清明之候,真情在簟食豆羹之間。故以我索人,不如使人自反;以我攻人,不如使人自露。
書き下し
良心は夜氣清明の候に在り、真情は簟食豆羹の間に在り。故に我を以て人を索むるは、人をして自ら反らしむるに如かず。我を以て人を攻むるは、人をして自ら露はさしむるに如かず。
現代語訳
良心は、夜の気が澄みわたる時にこそ現れます。真情は、竹の器の飯や一椀の吸い物のようなささやかなやりとりの間にこそ現れます。ですから自分の側から人を問いただすよりは、相手が自分で省みるようにさせるほうがよいのです。自分の側から人を攻めるよりは、相手が自分で本心を現すようにさせるほうがよいのです。
解説
人の良心や本心を引き出す方法について述べた一則です。夜気は『孟子』に見える言葉で、夜の静けさの中で人の心に回復してくる清らかな気のことです。簟食豆羹も『孟子』の一簞の食、一豆の羹を踏まえ、ささやかな飲食のやりとりを指します。原文の簟は竹のむしろの字で、本来は簞であるべきところかもしれません。人の良心は静かな時に、真情は小さな場面に自然と現れるものです。だから外から責めたり問い詰めたりするより、相手が自ら省み、自ら本心を見せるように待つほうがよいと説きます。部下や家族に何かを正したいときも、詰問するより、静かに考える時間と場を与えるほうが心に届くのではないでしょうか。
この章句が説くこと
良心育成寛容人情処世
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