酔古堂剣掃 / 集醒・豪傑を看るは小處に在り
看中人,在大處不走作,看豪傑,在小處不滲漏。
新字:看中人,在大処不走作,看豪傑,在小処不滲漏。
書き下し
中人を看るは、大處に在りて走作せず。豪傑を看るは、小處に在りて滲漏せず。
現代語訳
普通の人を見るときは、大きな事柄で道を踏み外さないかどうかを見ます。豪傑を見るときは、小さな事柄で手抜かりがないかどうかを見ます。
解説
人を評価するときの着眼点が、相手の器によって変わることを示した対句です。中人は普通の人、走作は踏み外すこと、滲漏は水が染み出るように細かいところが抜け落ちることです。普通の人には、大きな節目で道を外れなければそれで十分だと言います。一方、豪傑と呼ばれる人は大きな事をなしとげる力があるので、大局では誤りません。だからこそ、その人の真価は細かなところに表れるのです。豪快な人ほど小事をおろそかにしがちですが、本当に大きな人物は小さな約束や気配りも漏らしません。リーダーの評価は大きな決断だけでなく、日々の小さな言動の丁寧さにも表れることを覚えておきたいものです。
この章句が説くこと
人物細心統率処世評価
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