酔古堂剣掃 / 集醒・閒中の滋味最も長し
從冷視熱,然後知熱處之奔馳無益;從冗入閒,然後覺閒中之滋味最長。
新字:従冷視熱,然後知熱処之奔馳無益;従冗入閒,然後覚閒中之滋味最長。
書き下し
冷より熱を視て、然る後に熱處の奔馳の益無きを知る。冗より閒に入りて、然る後に閒中の滋味の最も長きを覺ゆ。
現代語訳
冷めた立場から熱狂している世の中を眺めてみて、はじめて熱いところで走り回ることが無益だとわかります。忙しさから抜けてひまな境地に入ってみて、はじめてひまの中の味わいがもっとも長く続くものだと気づきます。
解説
一歩引いたところから物事を見ることで得られる気づきを述べた対句です。菜根譚にもほぼ同じ句があります。熱は名利を追って世の人が熱中している状態、冷はそこから身を引いた冷静な立場です。冗は忙しく煩わしいこと、閑はゆったりした時間のことです。渦中にいるときは、走り回ることが当然に思え、その無益さに気づけません。忙しさを離れてみてはじめて、静かな時間の味わいの深さがわかります。熱中も忙しさも悪いことばかりではありませんが、ときどき離れて眺める視点を持たないと、何のために走っているのかを見失います。休暇や一人の時間は、ただの休息ではなく、自分の走り方を見直す機会にもなるのです。
この章句が説くこと
閑適名利澹泊自省処世
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