酔古堂剣掃 / 集醒・才子の草舍に安心する者
才子安心草舍者,足登玉堂;佳人適意蓬門者,堪貯金屋。
新字:才子安心草舎者,足登玉堂;佳人適意蓬門者,堪貯金屋。
書き下し
才子の草舍に安心する者は、足玉堂に登る。佳人の蓬門に適意する者は、金屋に貯ふるに堪ふ。
現代語訳
才能ある人でありながら粗末な草ぶきの家で心安らかに暮らせる者こそ、玉堂(翰林院)に登るにふさわしいのです。美しい人でありながら、よもぎの門の貧しい家で満ち足りていられる者こそ、黄金の屋敷に住まわせるにふさわしいのです。
解説
貧しい境遇に安んじられる人こそ、高い地位や豊かな暮らしにふさわしいと説く対句です。玉堂は宮中の翰林院のことで、学者の最高の栄誉の場です。金屋は、漢の武帝が幼い頃に阿嬌を妻にできたら黄金の家に住まわせると言った故事によります。草舎と玉堂、蓬門と金屋が、貧と富の両極として対になっています。貧しさに不平を言う人は、富を得てもさらに欲しがり、身を誤ることが多いものです。逆に、貧しくても心が満ちている人は、富や地位を得ても溺れません。昇進や成功に値する人かどうかは、恵まれない時期の過ごし方に表れるという見方は、人を見る目としても参考になります。
この章句が説くこと
清貧知足修身処世人物
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