酔古堂剣掃 / 集醒・德怨の兩つながら忘る
怨因德彰,故使人德我,不若德怨之兩忘;仇因恩立,故使人知恩,不若恩仇之俱泯。
新字:怨因徳彰,故使人徳我,不若徳怨之両忘;仇因恩立,故使人知恩,不若恩仇之倶泯。
書き下し
怨は德に因りて彰はる。故に人をして我を德とせしむるは、德怨の兩つながら忘るるに若かず。仇は恩に因りて立つ。故に人をして恩を知らしむるは、恩仇の俱に泯ぶるに若かず。
現代語訳
恨みは恩恵があるからこそ際立ちます。ですから人に自分をありがたく思わせるよりは、恩も恨みも両方忘れてしまうほうがよいのです。仇は恩があるからこそ生まれます。ですから人に恩を知らせるよりは、恩も仇もともに消えてしまうほうがよいのです。
解説
恩と恨みは表裏一体であるという洞察を述べた対句です。菜根譚にもほぼ同じ句があります。人に恩を施すと、相手がそれを忘れたときや、思ったほど感謝しないとき、施した側に恨みが生まれます。受けた側も、恩を意識させられることで負い目を感じ、それがかえって反感に変わることがあります。だから恩を売って感謝させようとするより、恩も恨みも意識しないほうがよいと言うのです。これは親切をやめよという教えではなく、見返りを求める心を捨てよという教えです。人を助けたらそれで終わりにし、感謝されるかどうかを気にしない人のほうが、結果として周りとの関係も穏やかに保てるのでしょう。
この章句が説くこと
恩讐寛容処世無私交友
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